自然時間創造

自然のリズムを思い出す場所

積み重ねてきたものが、次の扉をひらく

変化の波にのってみる

先月、レインドロップを受けてくださったクライアント様より、素敵なご感想をいただきました。

施術直後の身体の感覚から、その後の日常で感じられた変化まで、丁寧に言葉にしてくださっています。

今回は、ご本人のご了承をいただき、ご感想をご紹介させていただきます。

 


 

心身のリセットと人生の転機を実感!

自然時間花湖さんにて、レインドロップを受けさせていただきました。

施術直後から体がぽかぽかと温かく、やたらと心地よい眠気に包まれ、日頃の緊張がすーっと抜け切るのを感じました。

驚いたのはその後の変化のスピードです。

長年お稽古として20年近く積み重ねてきたことを、人に教える機会に恵まれたり、後輩の旅立ちを通じて「自分のこれからのキャリア」や「新しい資格取得」について前向きに考えられるようになったりと、自分の中の意識や環境がガラリと良い方向へ動き出しました。

心身の深いデトックスはもちろん、自分自身の可能性や未来の扉を開いてくれる最高の施術です。受けられて本当に良かったです!

 


 

 

身体の緊張がほどけていく感覚とともに、これまで長い時間をかけて積み重ねてきたものを、あらためて自分自身の可能性として見つめ直す。

そんな時間になったことを、とても嬉しく思います。

特に印象に残ったのは、「20年近く続けてきたことを、人に教える機会に恵まれた」というお話でした。

新しい何かを外から足したというよりも、これまで歩んできた時間の中にすでにあったものが、別の形で次のステージへつながっていく。

人生の転機というものは、突然どこかからやって来るというより、これまでの積み重ねがある時ふっと姿を変え、「次はこちらへ」と知らせてくれるものなのかもしれません。

施術によって感じることや、その後に起こる変化は、お一人おひとりによって異なります。

だからこそ、私は「こうなる」という答えを決めるのではなく、その方自身の身体や感覚、そして日々の流れを丁寧に見つめられる時間を大切にしています。

今回のご感想が、ご自身の中にある可能性や、これからの道を静かに見つめるきっかけになれば嬉しく思います。

素敵なご感想を届けてくださり、本当にありがとうございました。

 

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LINEからもご予約可能です。

http://lin.ee/sUxOVQp

 

 

音と振動に身をゆだねて

たくさんの音叉にワクワク

 

先日、以前から受けたいと思っていた
サロンSURYAさんの
フィボナッチ音叉セッションを受けてまいりました。


音と振動によるアプローチ

たくさんの音叉に囲まれながら、
音に身をゆだねていく時間。

普段とは少し違う意識状態になり、
身体の感覚にもいくつか興味深い変化がありました。

言葉にしようとすると、
かえってその体験から離れてしまうような感じがするのですが、折角なので共有させていただきます。

 

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最初に、セッションを受ける意図を言葉にしていきます。
「意図」というと少し固い感じがしますが、
セラピストのTamamiさんとお話していると
ゆるりと思考が緩んでくるので自分の中が整理されていきます。

カウンセリングが終わると、いよいよセッションです。

身体の様々な箇所へ音叉で触れながら振動を流してくださるのですが、
面白いことに、左右相対する部分で触れていない側が共鳴するように反応していました。
(左の足首に音叉を流している時に、右足首の同じ部分が反応するというように)

意識はうたた寝の時の夢と覚醒の狭間のような状態が続きます。

突然、これまでより大きな音に驚き、意識が戻り「寝ていた」と思うのですが、後から確認すると特別大きな音を鳴らす場面はないようでした。

そして途中、破れた紙の穴のような部分から鮮明な青々とした松が拡大されて見えたのがとても印象的でした。
終わったあと、この話をお伝えしたところ、松果体のエピソードをいただき、ここ最近は「松果体」に意識が向いています。

後半は、幽体離脱(したことはないです)の直前の身体が浮くような膨張するような感覚が続き、
エネルギーがぐるぐる巡っているようでした。

この音叉の振動は約1週間続くとのことでした。



特別なことより、日常を見る

セッションの後は、ゆっくりと日々の中での自分の変化を意識して過ごしてみました。
ひとつひとつは小さな事ですが、
「今、自分に必要なことを少しずつ選び直している。」ような感覚があります。

こうしたセッションを受けると、
「何かすごいことが起こった?」
というところに意識が向き、体験の中に意味を見つけようとしたくなります。

私自身も以前はそうでしたが、自分が施術をするようになってからは、
その後の自分の日常がどう変化したのかを観ることが大切だと感じるようになりました。

身体の感覚
呼吸
意識の向き
時間の使い方
人との関わり方

どんな変化が現れるのか。
自分自身の状態を静かに観察すること。

「今、私はどう感じている?」

身体はどうだろう。
呼吸はどうだろう。
何に心が向いているだろう。
何をしたくなっているだろう。
そして、何を手放したくなっているだろう。

特別な体験に意味を与えることよりも、
その体験をした自分が、その後どのように生きているのかをただ見ていく。

そうすることで、外から与えられた「答え」ではなく、
自分自身の中にある変化に気づくことができるのだと思います。

音叉のセッションで何が起きたのか。
その意味は何なのか。

それを今すぐ決めなくてもいい。

ただ感じて、観察して、必要なものを受け取り、
そして日常へ戻っていく。

体験を特別なものにするのではなく、
体験を自分の人生に還していく。

今回のセッションをきっかけに、
「音」や「振動」についてだけではなく、
自分の身体と意識を知っていくことの面白さを、改めて感じることができました。

特別な何かを探すのではなく、
今ここにある身体で、
今ここにある人生を感じていく。

そんな静かな観察を、これからも続けていきたいと思います。

 

 

サロンSURYAさん

本当にとても素敵なサロンです!

www.surya-awake.net

 

中心に余白をつくる

余白

日々の暮らし見直していると、

「足すこと」よりも
「減らすこと」の大切さに気づくことがあります。


台所を整えたり、
食べる量を見直したり。
身体を動かすときも、
たくさん頑張るのではなく、
最小限の動きで健康を維持するように意識したり。

余分なものを少しずつ減らしていくと、
これまで気づかなかった
身体の小さな感覚が見えてくることがあります。

今日は何を食べたいのか。
どこまで食べれば十分なのか。
どのくらい動けば心地よいのか。

身体はいつも、
私たちに何かを伝えている。

その声を聞くためには、
新しいものを加えることよりも、
今の自分に必要なものを選び直し、
必要なくなったものを手放して、
少し静かになることが大切なのかもしれません。

最近、
エネルギーワークについての
自分の考えを整理する機会がありました。

まず、自分の身体を感じること。
呼吸に気づくこと。
今、自分がどんな状態にあるのかを知ること。

そして、目の前にいる人の変化を
決めつけずに感じ取ること。

何かをしようとする前に、
ただ観察する。

必要以上に動かず、
必要なときだけ、
小さく働きかける。

エネルギーワークの本質は、
何か特別なことを「する」ことではなく、
生命の変化を感じ取れる状態に
自分を整えておくことなのかもしれません。

私たちは毎日、
さまざまなものを受け取り、
使い、また外へ返しながら生きています。

自分と世界は、
完全に切り離されたものではありません。

だからこそ、
自分の中心を整えることは、
世界から離れることではなく、
世界とのつながり方を整えることなのだと思います。

中心には、
ぎゅっと何かを詰め込む必要はない。

少し空いているからこそ、
呼吸することができる。
変化を感じることができる。
必要なものを受け取り、
不要なものを手放すことができる。

「中心に余白をつくる」

そう意識してみると、
自分の内側だけでなく、
人や環境とのあいだに起きている
小さな変化にも気づきやすくなります。

少し疲れている。
この場所では、なぜか呼吸が深くなる。
誰かと話したあと、身体が軽くなる。

そんな微細な感覚に耳を澄ませることも、
自分の生命がどんなリズムで動いているのかを
知るひとつの方法なのかもしれません。

食べたいものを食べる。
でも、食べ過ぎない。

身体を動かす。
でも、無理をしない。

学ぶ。
でも、知識でいっぱいにしない。

人とつながる。
でも、自分の中心を見失わない。

そのちょうどよい間に、
自分にとっての自然なリズムが
見つかることがあります。

古い錬金術では、
異なるものを変化させ、
新しい価値を生み出すことが探究されてきました。

私たちの日常にも、
小さな「錬金術」があるのかもしれません。

経験を学びに変えること。
余白を創造性に変えること。
身体の声を、暮らしの選択に変えること。

今あるものを丁寧に見つめ、
必要なものを残し、
不要なものを手放していく。

そうして自分の変化に気づけるようになると、
目の前にいる人の変化にも
少しずつ気づけるようになるのかもしれません。

言葉になる前の表情。
呼吸の変化。
身体のわずかな緊張。
ふっと緩む瞬間。

そうした変化を感じ取りながら、
相手を変えようとするのではなく、
ただそこにあるものを静かに観察する。

そのためにも、
まず自分自身の中心に
余白があること。

今月のサロンでは、
身体・心・意識を静かに観察しながら、
自分と人とのあいだにある
微細な変化にも耳を澄ませ、
生命本来のリズムを感じていく時間を
大切にしています。

何かを頑張って変えるのではなく、
生命が本来持っているリズムを
邪魔しているものがないか、
そっと見つめてみる。

中心に余白をつくることは、
何もない状態になることではなく、
生命の循環を感じ取り、
自分自身が静かな調和の場になっていくこと。

この一ヶ月が、
それぞれの中心に静かな余白が生まれ、
自分と世界のあいだを
必要なものが自然に巡っていく、
穏やかな時間となりますように。

2026.9.20

 

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私という生命を、世界へひらく


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「自分らしさって、何だろう?」


そんな問いに

私たちはどんなものを思い浮かべるでしょう。


好きなこと。

得意なこと。

人とは違うところ。

これまで歩んできた道。


最近、

「個性を究める」ということは、

そうしたものを集めて

自分を形づくることとは、

少し違うのかもしれないと思うようになりました。


私たちの中には、

静かな自分もいれば、

衝動的な自分もいる。


光を感じる自分もいれば、

迷いや不安を抱える自分もいる。


そのどれか一つだけを

「本当の自分」にするのではなく、

そのすべてを眺め、受け入れ、

ひとつの生命として統合していく。


光だけを選ぶのではなく、

陰の中にある力にも気づいていく。


そうして自分の中にあるものを

少しずつ受け入れていくと、

「こうしなければ」という思い込みから

少し自由になっていきます。


動きたいときには動く。

立ち止まりたいときには立ち止まる。

創りたいときには創る。

何もしない時間も、そのまま味わう。


そんなふうに、

自分の生命の動きを

自分で聴き取れるようになる。


その中から、

まだ知らなかった自分の表現が

立ち上がってくることがあります。


それは、

作品かもしれない。

言葉かもしれない。

仕事かもしれない。

誰かとの関係かもしれない。


大きなものでなくてもいい。


自分の内側から生まれたものを、

自分なりの形で世界へ差し出してみる。


すると、

受け取ることと与えることのあいだに、

新しい循環が生まれていきます。

 

豊かさもまた、

何かを増やし続けることではなく、

自分の生命が自然に動き、

持っているもの、受け取ったもの、

生み出したものが、

世界とのあいだを巡っていくことなのかもしれません。


私たちは、

自分だけで完結した存在ではありません。


身体も、心も、意識も、

人との関係も、自然とのつながりも、

さまざまなものが重なり合いながら、

今の「私」をつくっています。


だからこそ、

自分を深く知ることは、

世界から離れていくことではなく、

むしろ世界とのつながりを

深めていくことなのかもしれません。


今月のサロンでは、

身体・心・意識の声に耳を澄ませながら、

自分の中にあるさまざまな側面を感じ、

そのすべてをひとつの生命として

受け入れていく時間を大切にしています。


整えることから、

動くことへ。


動くことから、

表現することへ。


そして、

表現することから、

また新しい循環へ。


私という生命を、

少しずつ世界へひらいていく。


この一ヶ月が、

それぞれの内側にある個性が自然に息づき、

自分らしい創造と豊かさが

世界とのあいだをやさしく巡る時間となりますように。


2026. 8.23

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富山銘菓『反魂旦』からブラックアイドスーザンへ

光と影 ー どちらも私の一部

 

以前、フラワーエッセンスのクラスでブラックアイドスーザンのお話が出たときのこと。

「富山にはブラックアイドスーザンの中心部分の形に似ている『反魂旦(はんごんたん)』というお菓子があるんですよ」

そんな話を聞きました。

ブラックアイドスーザンの和名は、「アラゲハンゴンソウ」。

黄色い花びらの中央に、黒く盛り上がった筒状花がある、とても印象的な花です。

その「黒く盛り上がった中心部分」と、富山銘菓「反魂旦」のころんとした形が、どこか似ている。

そして「ハンゴン」という響きも重なる。

「いつか食べてみたいな」

そんなふうに思っていたのですが――

 

なんと先日、先生が近所のスーパーで富山銘菓「反魂旦」が売られているのを偶然見つけて、買ってきてくださいました。

思いがけず、ずっと気になっていたお菓子が目の前に。

いただいてみると、優しい甘さのしっとりとしたココア焼饅頭。

小さな丸い形も愛らしく、ほっこりする美味しさでした。

ひとつのお菓子をきっかけに、植物と薬と、そしてフラワーエッセンスの世界が思いがけずつながっていきます。


「反魂」という言葉

富山といえば、昔から知られているのが「越中富山の売薬」。

その代表的な薬のひとつが「反魂丹」です。

「反魂」という言葉には、死者の魂を呼び戻す、蘇らせるという意味があります。

反魂丹という名前も、もともとは中国の説話などに登場する霊薬の名前に由来するとされています。

富山の反魂丹は、江戸時代には家庭用の薬として広く知られるようになり、富山の売薬文化の発展にもつながっていきました。

そして、その名にあやかって生まれたのが、今回いただいた銘菓「反魂旦」。

薬の「丹」ではなく、お菓子には「旦」の字が使われています。

ころんとした薬玉のような形に、金色の包み。

富山の薬売りとともに全国へ届けられたという紙風船も添えられています。

薬の名前が、今度は甘いお菓子として人のもとへ届けられている。

なんだか面白いですね。

 

ブラックアイドスーザンという花

では、ここからフラワーエッセンスのお話へ。

ブラックアイドスーザン
Rudbeckia hirta

キク科オオハンゴンソウ属の植物です。

アメリカ東部原産で、夏から秋にかけて、鮮やかな黄色い花びらを広げます。

その中心には、黒褐色の筒状花がドームのように盛り上がっています。

黄色と黒。

明るい光と深い影。

そのコントラストが、この植物の大きな特徴です。

FESのブラックアイドスーザンでは、この花の姿が、私たちの意識にある「光」と「影」の象徴として捉えられています。

 

見たくないものを、見ないままにする

私たちは、ときどき自分の中にあるものを見ないようにすることがあります。

思い出したくないこと。

認めたくない感情。

できれば存在しなかったことにしたい自分の一面。

それらを心の奥へしまい込み、日常生活ではなかったことにして過ごす。

それは、ときに自分を守るために必要なことでもあります。

けれど、見えない場所へ押し込めたものは、消えてしまったわけではありません。

ブラックアイドスーザンは、そうして意識の奥に置き去りにされたものに、少しずつ「気づきの光」を当てていくエッセンスです。

大切なのは、無理に過去を掘り起こすことではありません。

「こんな自分は見たくない」と目をそらしていたものにも、

「ああ、私の中には、こんな部分もあるのだな」

と気づいていくこと。

光の部分だけを自分だと思うのではなく、

影の部分もまた、自分の一部として見つめていく。

そこから、ばらばらになっていたものが少しずつつながり始めます。

 

黒い中心も、花の一部

ブラックアイドスーザンの花を眺めていると、そんなことを考えます。

黄色い花びらだけでは、この花にはならない。

中心の黒い部分も含めて、一輪の花です。

光だけを残して、影をなくそうとしなくてもいい。

見たくない部分を無理に消そうとするのではなく、

そこに何があるのかを、少しずつ知っていく。

すると「影」は、ただ隠しておきたいものではなく、自分自身を深く知るための入口になるのかもしれません。

 

そして、反魂旦

今回いただいた「反魂旦」は、ブラックアイドスーザンそのものから作られたお菓子ではありません。

富山の薬「反魂丹」にちなみ、その名前と姿を受け継いだ銘菓です。

植物の「ハンゴンソウ」と、お菓子の「反魂旦」。

直接の由来が同じというわけではないけれど、こうして並べてみると、とても不思議な響きがあります。

「反魂」という言葉には、

魂を呼び戻す。

という意味がある。

ブラックアイドスーザンが扱うのも、ある意味では「忘れられた自分の一部を、意識の中へ呼び戻す」ことなのかもしれません。

 

光も、影も。

ブラックアイドスーザンは、

「自分の中の影をなくしましょう」

と教える花ではないように思います。

むしろ、

「そこにあるものを、意識の光の中で見てみましょう」

と静かに促してくれる。

私たちの中には、見せたい自分もいれば、できれば見せたくない自分もいる。

けれど、そのどちらかだけで「私」なのではなく、

光も影も含めたすべてが、今ここにいる私を形づくっている。

そう考えると、「影を見る」ということは、ただ暗いところへ降りていくことではありません。

自分自身を、もう少し全体として知っていくこと。

そして、これまで置き去りにしていた自分の一部を、少しずつ自分のもとへ迎えに行くこと。

ブラックアイドスーザンは、そんな「自己への気づき」を助けてくれるエッセンスです。

 

今回、思いがけず出会った小さな「反魂旦」。

その優しい甘さを味わいながら、

「反魂」という言葉の向こうにあるものを、少しだけ考えてみました。

忘れていたものを、もう一度自分のもとへ。

光の中だけではなく、影も含めて。

そんな静かな統合の物語を、この黄色と黒の花は見せてくれているのかもしれません。

 

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日常は静かに調律されていく

赤い銀河の月

季節は少しずつ歩みを進め、
私たちの日常にも新しいリズムが静かに息づき始めています。

何か特別なことが起こるわけではなくても、
日常の中には、小さな節目がたくさんあります。

部屋を整えること。

お気に入りのものを新しく迎えること。

身体をいたわること。

心地よい香りに深く呼吸すること。

自然の美しさに足を止めること。

そんな一つひとつの選択が、
私たちの毎日を少しずつ調律してくれます。

最近、「豊かさ」とは何だろうと考える機会がありました。

何かを増やすことでも、
何かを得るために急いで前へ進むことでもなく、

自分の内側と外側が静かに調い、
生命が自然に巡っている。

そんな日々の積み重ねこそ、
豊かさなのかもしれません。

だからこそ、
焦って変わろうとしなくても大丈夫。

生命には、
生命自身が知っているリズムがあります。

その流れに耳を澄ませ、
今日できる小さな一歩を丁寧に重ねていく。

今月のサロンでは、
身体・心・意識を静かに観察しながら、
本来のリズムへと還っていく時間を大切にしています。

新しい流れの始まりが、
皆さまにとって穏やかで心地よいリズムとともに過ごす一ヶ月となりますように。

 

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「静かな調律」のご感想をいただきました

先日、「静かな調律」を受けてくださった方から、丁寧なご感想をいただきました。

 

生命の流れを思い出す

 

施術の体験や、その後の日々の変化を、ご自身の言葉で綴ってくださったことに心より感謝いたします。

施術による感じ方や、その後の変化は本当に人それぞれです。

だからこそ、一つひとつの体験はとても尊く、私自身も毎回新たな気づきをいただいています。

 

ご本人のご了承をいただきましたので、ご感想をご紹介させていただきます。

 

 

『静かな調律』の施術を受けてから1ヶ月ほど経ちますが、その間にいくつかの変化を感じています。

 

施術直後は、雨が降っていないにもかかわらず、雨に降られて洗い流されたような感覚があり、心身がとてもすっきりしました。それ以降、日常生活の中で「水」に関わる単語をよく目にするようになっています。

 

また、読書をしていると、自分が過去に経験したことや興味を持っていた内容が書かれている本に出会うことが多く、様々なことを思い出すきっかけになっています。

さらに、新しい人との出逢いや、以前からの知人との再会も増えました。

 

心身が整い、日々の出来事に確かな変化をもたらしてくれるサロンです。

 

 

ご感想を読みながら、私が印象的だったのは、「何か特別なものを得た」というよりも、「本来の流れを思い出していく」ような変化が綴られていたことでした。

身体がゆるむことで心に余白が生まれ、日常の景色や人とのご縁が、これまでとは少し違って見えてくる。

そんな静かな変化は、大きな出来事よりも、その後の暮らしの中でゆっくり育っていくものなのかもしれません。

 

「静かな調律」は、何かを加えたり、無理に変えたりするための時間ではなく、本来の自分のリズムや感覚を思い出していく時間でありたいと願っています。

 

このような大切な体験を分かち合ってくださったことに、改めて感謝申し上げます。

 

これからも、お一人おひとりの歩幅を大切にしながら、安心して心と身体をゆるめられる時間をご一緒できたら嬉しく思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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