
光と影 ー どちらも私の一部
以前、フラワーエッセンスのクラスでブラックアイドスーザンのお話が出たときのこと。
「富山にはブラックアイドスーザンの中心部分の形に似ている『反魂旦(はんごんたん)』というお菓子があるんですよ」
そんな話を聞きました。
ブラックアイドスーザンの和名は、「アラゲハンゴンソウ」。
黄色い花びらの中央に、黒く盛り上がった筒状花がある、とても印象的な花です。
その「黒く盛り上がった中心部分」と、富山銘菓「反魂旦」のころんとした形が、どこか似ている。
そして「ハンゴン」という響きも重なる。
「いつか食べてみたいな」
そんなふうに思っていたのですが――
なんと先日、先生が近所のスーパーで富山銘菓「反魂旦」が売られているのを偶然見つけて、買ってきてくださいました。
思いがけず、ずっと気になっていたお菓子が目の前に。
いただいてみると、優しい甘さのしっとりとしたココア焼饅頭。
小さな丸い形も愛らしく、ほっこりする美味しさでした。
ひとつのお菓子をきっかけに、植物と薬と、そしてフラワーエッセンスの世界が思いがけずつながっていきます。
「反魂」という言葉
富山といえば、昔から知られているのが「越中富山の売薬」。
その代表的な薬のひとつが「反魂丹」です。
「反魂」という言葉には、死者の魂を呼び戻す、蘇らせるという意味があります。
反魂丹という名前も、もともとは中国の説話などに登場する霊薬の名前に由来するとされています。
富山の反魂丹は、江戸時代には家庭用の薬として広く知られるようになり、富山の売薬文化の発展にもつながっていきました。
そして、その名にあやかって生まれたのが、今回いただいた銘菓「反魂旦」。
薬の「丹」ではなく、お菓子には「旦」の字が使われています。
ころんとした薬玉のような形に、金色の包み。
富山の薬売りとともに全国へ届けられたという紙風船も添えられています。
薬の名前が、今度は甘いお菓子として人のもとへ届けられている。
なんだか面白いですね。
ブラックアイドスーザンという花
では、ここからフラワーエッセンスのお話へ。
ブラックアイドスーザン
Rudbeckia hirta
キク科オオハンゴンソウ属の植物です。
アメリカ東部原産で、夏から秋にかけて、鮮やかな黄色い花びらを広げます。
その中心には、黒褐色の筒状花がドームのように盛り上がっています。
黄色と黒。
明るい光と深い影。
そのコントラストが、この植物の大きな特徴です。
FESのブラックアイドスーザンでは、この花の姿が、私たちの意識にある「光」と「影」の象徴として捉えられています。
見たくないものを、見ないままにする
私たちは、ときどき自分の中にあるものを見ないようにすることがあります。
思い出したくないこと。
認めたくない感情。
できれば存在しなかったことにしたい自分の一面。
それらを心の奥へしまい込み、日常生活ではなかったことにして過ごす。
それは、ときに自分を守るために必要なことでもあります。
けれど、見えない場所へ押し込めたものは、消えてしまったわけではありません。
ブラックアイドスーザンは、そうして意識の奥に置き去りにされたものに、少しずつ「気づきの光」を当てていくエッセンスです。
大切なのは、無理に過去を掘り起こすことではありません。
「こんな自分は見たくない」と目をそらしていたものにも、
「ああ、私の中には、こんな部分もあるのだな」
と気づいていくこと。
光の部分だけを自分だと思うのではなく、
影の部分もまた、自分の一部として見つめていく。
そこから、ばらばらになっていたものが少しずつつながり始めます。
黒い中心も、花の一部
ブラックアイドスーザンの花を眺めていると、そんなことを考えます。
黄色い花びらだけでは、この花にはならない。
中心の黒い部分も含めて、一輪の花です。
光だけを残して、影をなくそうとしなくてもいい。
見たくない部分を無理に消そうとするのではなく、
そこに何があるのかを、少しずつ知っていく。
すると「影」は、ただ隠しておきたいものではなく、自分自身を深く知るための入口になるのかもしれません。
そして、反魂旦
今回いただいた「反魂旦」は、ブラックアイドスーザンそのものから作られたお菓子ではありません。
富山の薬「反魂丹」にちなみ、その名前と姿を受け継いだ銘菓です。
植物の「ハンゴンソウ」と、お菓子の「反魂旦」。
直接の由来が同じというわけではないけれど、こうして並べてみると、とても不思議な響きがあります。
「反魂」という言葉には、
魂を呼び戻す。
という意味がある。
ブラックアイドスーザンが扱うのも、ある意味では「忘れられた自分の一部を、意識の中へ呼び戻す」ことなのかもしれません。
光も、影も。
ブラックアイドスーザンは、
「自分の中の影をなくしましょう」
と教える花ではないように思います。
むしろ、
「そこにあるものを、意識の光の中で見てみましょう」
と静かに促してくれる。
私たちの中には、見せたい自分もいれば、できれば見せたくない自分もいる。
けれど、そのどちらかだけで「私」なのではなく、
光も影も含めたすべてが、今ここにいる私を形づくっている。
そう考えると、「影を見る」ということは、ただ暗いところへ降りていくことではありません。
自分自身を、もう少し全体として知っていくこと。
そして、これまで置き去りにしていた自分の一部を、少しずつ自分のもとへ迎えに行くこと。
ブラックアイドスーザンは、そんな「自己への気づき」を助けてくれるエッセンスです。
今回、思いがけず出会った小さな「反魂旦」。
その優しい甘さを味わいながら、
「反魂」という言葉の向こうにあるものを、少しだけ考えてみました。
忘れていたものを、もう一度自分のもとへ。
光の中だけではなく、影も含めて。
そんな静かな統合の物語を、この黄色と黒の花は見せてくれているのかもしれません。
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